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五代友厚と製藍事業

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明治に入った時、藍に力を入れた士族の代表格に五代友厚がいます。

薩摩藩に生まれ、慶応元年にイギリスに渡り、見聞を広めました。明治に入ってからは、実業界に入り、様々な事業を興すと共に、大阪の商業を立て直す立役者として活躍したことはよく知られています。特に大阪では、大阪経済の育ての親であり恩人とも称されています。

五代友厚と藍についていえば、明治九年に大阪堂島に「西朝陽館」を設立し、製藍工場を運営しました。政府から莫大な資金を得て開業したと言われています。一説には、職工数1000人を超えたとの説もある一方で、最盛時でも300人くらいだったとも言われますが、いずれにしても当時の大阪では最大の工場でした。

今大阪の堂島にある田蓑橋のすぐ近くには、五代友厚の製藍所記念碑がたっています。

 

西朝陽館跡

西朝陽館跡

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