北原研究所

ブログ

Kanako Kitahara's Blog

ブログ

外国人女性の眼差しー青森県女性史執筆の中でー

  • 歴史
  • 津軽
Pocket
LINEで送る

昨日のブログで、国際日本文化研究センターの郭南燕さんが編集した本のことを書きました。私も郭さんの文章にある通り、日本を知るには日本人以外の眼を通すのも大切な方法であると考えています。

「日本論」とまで大きく考えなくとも、近代の歴史を見るときに、外国人が日本について書いた資料がとても参考になるということが時々あります。今まで手がけた仕事の中でも印象的だったのは、『青森県女性史ーあゆみとくらしー』の近代編を担当した時でした。

青森県女性史『青森県女性史』は1997年から1999年3月までの短期間で一気に完成させたもので、青森県庁環境生活部内にあった「女性政策課」による仕事でした。当時弘前大学人文学部教授であられた長谷川成一先生をリーダーとして、歴史学、民俗学、社会学の三つの視点から青森県の女性史を描こうとする試みで、もちろん本格的な女性史としては青森県初でした。

私はここで近代(明治〜大正)を担当しました。ただ、正直なところ、明治初期は一体どうしたらいいのだろうと最初は途方に暮れました。現在の青森県域の中心であった弘前藩の場合、藩政期は史料がまとまって保存されていますが、こと「女性」というキーワードを中心にすると、近代に入ると逆に手掛かりが少なくなります。青森県初期の新聞もいくつかありますが、当時の女性の様子をビビットに伝えてくれるような資料というのはなかなかお目にかかれないのです。

 

そんなとき、とても役に立ったのは、明治初期の青森県のようすを書いてくれた外国人女性たちの書簡や手記でした。自分が専門としていたキリスト教宣教師関係文書に加えて、たとえば英国人女性探検家として知られているイザベラ・バードの『日本奥地紀行』などは、とても助けになりました。

たとえば、その中にバードが当時の黒石町に滞在していた時、隣家の女性が髪を結い上げる様子を書いている場面があります。どのように長い髪を二つに分け、どのようにびんづけ油をつけて、どのような詰め物を入れて髪を結い上げていくか、バードは三時間以上にわたった身支度のようすについてきめ細かく書き残しました。そのほかにも既婚女性と未婚女性の装いの違いなど、さまざまな様子が描かれています。

こういうごくごく平凡な日常は、日本人にとって当たり前すぎることが多く特に書き残したりしていないので、意外にわからないことが多いです。

同じ日本ではあっても、明治の日本は今の私達からしてもほとんど異国に近いくらいさまざまなことが変わってきています。そんななかで、バードのような探検家やキリスト教女性宣教師など、外国人女性たちが書き残したさまざまな習俗は、今、現代の私たちがかつて生きていた先輩女性たちの姿を知る上でとても参考になっています。

(内容についてのお問い合わせはinfo@kitahara.coまでどうぞ)

 

 

Pocket
LINEで送る