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Kanako Kitahara's Blog

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弘前とキリスト教会

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弘前城大手門

弘前城大手門

今日の弘前は、12月初めにしては珍しいくらいの大雪でした。市内は白一色、本格的な冬将軍の訪れです。

本日は、少しキリスト教会のお話を。

弘前は城下町ですが、洋館やキリスト教会がいくつもあります。

特にキリスト教は、弘前の歴史と深く関わっています。

弘前にキリスト教が本格的に広がったのは、東奥義塾という学校が作られたことがきっかけになっています。東奥義塾は、旧弘前藩主の援助により、弘前藩学校を継承して明治5年に設立されました。私立で独特の教育方針を持ち、開校当初から外国人教師を雇いました。明治13年くらいまでこの体制が続きましたが、この外国人教師がすべて、宣教師、あるいは宣教師に関係ある人々でした。これは少しユニークなケースでした。

 

宣教師ジョン・イングとその家族

宣教師ジョン・イングとその家族

特に影響を持ったのは、明治7年末に弘前に来たメソジスト派宣教師、ジョン・イングです。イングは弘前出身のキリスト者である本多庸一と共に弘前に到着後、間もなく宣教活動をはじめ、半年後には東奥義塾生に洗礼を授けます。ここから、キリスト教はどんどん広がって行きました。そして、弘前教会が設立されます。

 

イングの薫陶を受けた人々から、さらに地域を越えてキリスト教が広がったことから、メソジスト派の中では、ジョン・イングの仕事を高く評価する声があがっています。中には、弘前を「メソジストの聖地」と称賛する声もありました。(より詳しい情報をご希望の方は、次の図書をご覧下さい。『洋学受容と地方の近代』(岩田書院、2002)

 

 

イングは、津軽地方にリンゴを伝えたアメリカ人としても有名です。実際にリンゴを伝えたかどうかは、はっきりしません。ただし、彼は弘前で藍染に関心を持ち、自分でも藍染をしていました。これについては、本サイトの以下の部分をぜひご覧下さい。

藍の歴史ー津軽の歴史文化と藍

 

日本基督教団 弘前教会

日本基督教団 弘前教会

日本のプロテスタント教会の中では、長い歴史と由緒を持つ弘前教会。今日は、雪がしんしんと降り積もっていました。

 

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