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縦書きの英単語帳ー『パーレーの万国史』と「成田らく」さん

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前回、『パーレーの万国史』について書きました。

今日は続編です。

 

弘前にかつて「成田らく」さんという女性がいました。明治3年4月5日生まれ。

廃藩置県で弘前藩士族の父が山田村(当時。森田村に合併し、さらに現在はつがる市域)に移り、そこで育ちました。学校の成績も優秀だったようで、明治18年5月には青森県女子師範学校を卒業して、のちに弘前女学校の教師になっています。この弘前女学校とは、現在の弘前学院聖愛高等学校の前身校です。

弘前女学校の教師時代も、らくさんは勉強をしていました。らくさんはたくさんのノートを残しています。そして、らくさんのご子孫の方々は今もそのノートを大切に保管されておられます。

成田家の皆さんのご厚意で見せていただいたノートの一つに、「ユニバーサルヒストリー」と書かれた単語帳がありました。最初はなんの本なのかわからなかったのですが、単語帳のなかに、一つのヒントがありました。

 

成田らくさんの単語帳

成田らくさんの単語帳

 

この右側にある130という数字です。これは頁数ではないかと思い、当時(明治20年代初頭)使用されていた世界史関係の書籍を片っ端から見て行きました。そして、とうとう、『パーレーの万国史』(Peter Parley’s Universal History, on the basis of geography,Ivison, Blakeman, Taylor & Co,1870)のp.130に次の文章を見つけました。

 

The most remarkable feature in the history of Asia is, that while the country has seen many revolutions and changes, the condition of the people remains nearly the same.  In our country and in Europe, there is a constant improvement. Every year brings some new art, invention,or institution, for the benefit of society.

らくさんのノートの一番右の行の英単語がこの文章の中にほぼでてきます。色を変えてある単語が、ノートに書かれている単語です。ですので、おそらくこのノートは『パーレーの万国史』を勉強したときのものだろうと推察できた訳です。

前回のブログにも書いた通り、この『パーレーの万国史』は、当時の日本でよく使用され、英語力を測る目安にもなりました。八戸でも羽仁もと子がこの本で勉強していました。弘前でも成田らくさんがこの本をつかっていたということが、これではっきりわかった訳です。

ちなみにこのノート、その後の文章と付き合わせてみたら、単語が上から下へ、右から左へと書かれていることがわかりました。今だったら、全部横書きで、左から右へと書いて行くのが普通ですが、当時はまだ、文字は縦書き&右から左へという法則?が主流だったのでしょうね。

成田家には、このノートの他にもたくさんの興味深い資料が残されていました。いずれ、ご紹介して行きたいと思います。今日は、『パーレーの万国史』にちなんでの縦書き?英単語帳のお話でした。

 

もう少し詳しくお知りになりたい方は、以下をご覧下さい。

北原かな子「明治初期東奥義塾関連洋書についての考察ージョン・イング寄贈書を中心にー」(『弘前大学国史研究』117、2004、p1-15)

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