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八戸初の耶蘇式結婚式のお話ー文明開化の一コマから

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今日は八戸でおそらく初めて行われた「耶蘇式結婚式」のお話です。

青森県にはかつて『青森新聞』というメディアがありました。その238号に明治13年に行われたキリスト教式結婚式の様子が載っています。(読みやすいように一部現代語に書き換えましたので、必要な方は原典(『青森新聞』M13.7.26)をご覧下さい)。

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近来、八戸にて耶蘇教を学ぶ人はたくさんいるが、その中に最も秀でている柏崎新丁の何某は、先日秋田県下へ宣教にでかけ、この程帰郷して、同丁の何某の娘を娶らんと縁談を申し込んだ。先方も異議なく承諾して、呉れる貰う約束をした。

双方とも耶蘇教信者なので、土地在来[日本式]のやりかたで婚姻をするのではなく、すべて耶蘇風にやろうとして、説教場に支度を設けて、双方の親類及び同学の男女を集めて万事教師が主催した。

盃のやり取りを済ませてから、教師が先に立ち、新郎と新婦と手を引かせて衆賓の座をぐるりぐるりと2、3遍まわり、終ってから座の真ん中に両人を抱き合わせ、べろりべろりと顔を舐め合ったので、その座に居合わせた男女は皆、顔を赤らめたという。

これは何の礼なのだろうと[青森新聞に]投書があったが、西洋には、接吻の礼あることはかつて聞き及べども、舐顔の礼は記者未だ之を知らない。

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文明開化の一コマですね。「耶蘇式」つまり、「キリスト式」やりかたで結婚式をあげたものの、結婚する方も、式に出席した方も戸惑っている様子がつたわります。そしてこうした記事が出ていることに、ちょっとほのぼのとした気持になりますね。

文中に八戸から秋田に伝道にいったとありますが、八戸はハリストス正教が早くから広がり、秋田の方にも伝わって行きました。弘前もキリスト教が早くから入りましたが、こちらはプロテスタントで、宗派がちがうため、ハリストスは弘前を避けるように秋田の方に広がった感じがあります。

東北のハリストス正教は、外国人宣教師ではなく、日本人の伝教者たちが中心だったので、さまざまな風習もプロテスタントは違う形で伝わったのだろうと思います。

東北のハリストスについては、帝京大学講師の山下須美礼さんの著書が詳しいので、よろしければそちらをご覧下さい。

山下須美礼『東方正教の地域的展開と移行期の人間像ー北東北における時代変容意識』(清文堂、2014)

 

写真は、大館にあるハリストス正教会の聖堂です。山下さんの撮影です。

北鹿ハリストス正教会聖堂

北鹿ハリストス正教会聖堂

 

 

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