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明治天皇の前で歌った東奥義塾生たち(1876.7.15)

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少しご無沙汰しているうちに、すっかり夏になりました。

さて今日は青森と音楽の話題を少し。

1876年7月15日は、現在の青森市で初めて男性による合唱が披露された日です。

この日、青森小学校において、県内で選抜された小学生たちや、弘前の東奥義塾の生徒たちの天覧授業が行われました。奥羽巡幸で東北をめぐっていた明治天皇は、連日の疲れも見せず、朝6時には宿舎をでて兵隊の様子をご覧になる等、早くから活発に活動しています。

そして、朝10時、青森小学校に到着されました。最初に生徒800人の体操をご覧になった後、弘前や田名部の小学校選抜生の授業に臨まれました。このときの授業は地理で、先生が黒板にかけた地図を棒でさし、生徒が答えるというものでした。

おそらく何度もリハーサルを繰り返したことと思われますが、それでも緊張のあまり、声が出なくなってしまった生徒もいたようです。

そして次に、東奥義塾生の天覧授業に移ります。

出席した生徒は10名、指導者のアメリカ人教師、ジョン・イング先生と共に天覧授業に臨みました。その中の3人が天皇陛下の前で実に流暢な英文演説を暗唱し、天皇を驚かせました。

最後に10人全員が起立し、天皇の前で唱歌を歌います。これは、イング先生が賛美歌 Coronation (All Hail The Power of Jesus’ name)を天皇を讃える歌詞に書き換えたものでした。

ジョン・イング先生と東奥義塾生たち

ジョン・イング先生と東奥義塾生たち

明治天皇はとても喜ばれ、ご褒美として、辞典を購入するようにとのお金を各自に5円ずつ与えました。ちなみに、この当時、東奥義塾の学校長の給料は7円ほどでした。辞典も高価でなかなか買えなかった時代のことでもあり、東奥義塾生たちがどれほど喜び、誇らしく思ったか、今でもわかるような気が致します。

このときの東奥義塾生の中から、3名が翌年アメリカに留学しました。そして最初に演説を暗唱した珍田捨己は、のち外交官を経て最後は侍従長として昭和天皇に仕えています。

以上のお話は、東奥義塾の歴史のなかでは有名なもので、長く語り継がれています。ここでは、少しこの「唱歌」の意味を書いておきたいと思います。

明治に入る前、日本の邦楽は音程(音高)にそれほどこだわらなかったので、皆で声の高さを合わせて歌う「合唱」あるいは「斉唱」というものは、ほとんどありませんでした。まして、当時20歳前後だった男性たちが、声を合わせて歌う、ということは、実に珍しいことで、そもそも当時の日本人にとって音程を正確に歌うこと自体が、かなり難しいことでした。

キリスト教宣教師たちは、日本人に賛美歌を歌わせようとして、かなり苦労しています。同志社で宣教師ドーンによって歌の練習が始まったのも、1875年末のことでしたが、どうやらなかなか「歌」にならなくてたいへんだったようです。

ですので、もしかしたらこの男声合唱は、人前で披露されたものとしては、日本初だったかもしれません。それが天皇陛下の御前で、しかも青森という地で行われたということは、興味深いことではないかと思います。

このときの様子は、東京日日新聞の随行記者だった岸田吟香が詳細に伝えています(『東京日日新聞』1876年7月24日付)。さらに東奥義塾生の指導者として天皇に拝謁の栄を賜ったアメリカ人ジョン・イングもこのときの様子を詳しく母国の宣教雑誌に書いています。

写真は、この天覧授業の後で撮影された記念写真だそうです。

宣教師が見た明治天皇も興味深い内容なので、次回に紹介したいと思います。

 

 

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