北原研究所

藍の研究

The Study of Indigo

藍の研究

研究紹介

藍の歴史-津軽の歴史文化と藍

北原研究所では、藍の持つ生理活性物質の研究を進める傍ら、津軽地方における藍の歴史文化の研究についても取り組んでいます。

津軽の武士たちと藍

津軽地方では、弘前藩時代から藍染めが行われました。 廃藩置県によって青森県の一部になった時、弘前藩のサムライたちは、食べて行くために産業を興すための取り組みをしました。藍もその一つでした。 たとえば、元弘前藩の武士だった北原高雅は、明治10年代の初め、当時藍を生産していた藤崎や板柳の畑を歩き回り、藍の生育状況を記録していました。この北原日記は、当時の農業の記録にとどまらず、時代の変化の中に生きる元サムライたちの生活がわかる記録になっています。

北原高雅日記

津軽の外国人教師と藍

青森県津軽地方はリンゴの生産が有名です。リンゴ産業もこの明治初期から始まったもので、当時弘前に滞在したアメリカ人宣教師、ジョン・イングが伝えたという伝説めいたエピソードも残っています。

本当にアメリカ人宣教師のイングがリンゴを津軽の人たちに伝えたのか、ということは、よくわかっていません。でも、イングが母国にいる彼の父に宛てた手紙の中に、津軽で藍染に取り組んでいることが書かれています。イングは、藍の技術を津軽で学び、アメリカに帰ったのです。

イングファミリー

武士の夢を再び!

明治初期に津軽地方で藍産業を興そうとした「北原高雅」は、本研究所設立者の北原晴男の縁戚関係ではありません。 北原晴男は、平成12年にさまざまなご縁から藍の研究に取り組むようになりました。 弘前大学教育学部有機化学教室において藍抗菌性の研究が進む傍らで、近代史を専門とする共同研究者の北原かな子は津軽の藍の歴史に取り組むようになりました。その中で発掘したのがこの資料です。

今から130年あまり昔、この地方で藍産業を盛んにしようと夢見たサムライの名前が「北原」であったという偶然に、不思議なご縁を感じています。北原研究所では、科学的な付加価値をつけることで藍を盛んにして、130年前に武士たちが達成できなかった夢を実現したいと願っています。

こうした、津軽藍の歴史については、2012年に弘前大学出版会から刊行された『日英対訳 津軽の藍』に詳しく紹介しました。この本には、津軽藍の歴史だけではなく、植物としてみた藍のさまざまな特性、藍染などの藍の化学的なしくみ、そして藍抗菌性についての科学的研究成果などが書かれています。

<著作紹介>

日英対訳 津軽の藍 Tsugaru Indigo