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Kanako Kitahara's Blog

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研究者を志したきっかけー「Région」(れぢおん) 掲載「ヒバと藍と青森―歴史の中に魅力を探る―」から

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あおもり創生パートナーズ株式会社さんの機関紙であるRégion に「ヒバと藍と青森―歴史の中に魅力を探る―」を文章を寄稿しました。字数の制限がありましたので、原稿を元に書き直したものをここに紹介していきます。最初は自己紹介からです。

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はじめに

自己紹介

青森県民となってもう35年が過ぎました。私は最初の学生時代に音楽を専攻し、弘前に来る前は宮城県で高校の音楽教師をしていました。夫が弘前大学に勤務した関係で、1990年に教師を辞めて弘前市に移住し、子供が産まれた後にもう一度大学院に通い、現在は青森県や東北地方の幕末から明治後期にかけた西洋文化受容に関心を持っています。地元との関連では、これまで、『青森県女性史』や『青森県史』などを手がけてきました。

 

普段は歴史研究者としての生活ですが、私にはもう一つ、研究者の家族としての生活もあります。夫も義父も化学者なので、家の中では常に化学の話を聞かされ、その研究経緯も見ていました。義父はヒバに含まれるヒノキチオールの研究者であり、藍とトリプタンスリンの研究は夫が始めた仕事でした。せっかくの機会をいただきましたので、ここでは自分が研究者を志したきっかけと、自然科学の分野であるヒバや藍について、歴史研究者かつ化学者の家族としての眼差しから描いていきたいと思います。

 

研究者を志したきっかけ

子育中の主婦だった私が研究者を目指したきっかけは、有機化学の講演でした。私の夫である北原晴男は弘前大学教育学部の有機化学担当で、教師を目指す学生たちとともに研究を進めていました。彼の信念は、「将来教育現場に立つ学生にこそ、研究の最先端を知ってほしい」というものです。

「俺はな、ノーベル賞は無理だし、俺が教える学生たちも無理だと思うんだ。でもよ、彼らが教える生徒たちの中から、ノーベル賞を狙える人材が育つかもしれないじゃないか」

口癖のように言っていた夫は、世界でも最先端の研究を進めている高名な先生たちを弘前大学教育学部にお招きし、集中講義や学内外に向けた講演をお願いしていました。

 

その中に、当時、東北大学理学研究科で巨大分子「シガトキシン」の合成研究に取り組む平間正博先生がおられました。せっかく、化学合成研究の世界最先端を牽引する先生が講演されるというので、私も聴きにいってみました。

シガトキシンとはフグ毒であるテトラドトキシンと同様に強い毒性を持つ化合物です。構造は巨大かつ複雑であり、当時、世界中の化学者たちが先を競って合成研究に取り組んでいました。最初は、なぜ毒の合成に取り組むのか、と素朴に思いました。その理由は、毒をもつ化合物を合成して仕組みを解明することにより、毒に対処する方法を組み立てることができるからなのだそうです。

 

巨人の肩に立つ

私は素人なので難しいことは分かりませんでしたが、構造図が示す分子の大きさと、平間先生たちが死に物狂いでその研究に取り組んでいる、その迫力だけは理解しました。前例のない世界にどう足を踏み出していくのか。それは情報が少ない時代に新大陸を求めて航海に乗り出した、かつての船乗りたちの姿を想像させるような講演でした。ただ一つ、研究者と船乗りが違うのは、自分自身が羅針盤になることなのかなと。

方角を測る羅針盤は人工的に作ることができますが、学問の世界は研究の積み重ねに関する研究者自身の深い理解が重要になります。研究の世界では、「巨人の肩に立つ」という表現がよく使われます。それまでの知見に基づき新しい世界を切り拓くという意味で、先駆者への敬意もあらわします。その世界に憧れを抱き、自分でも研究の世界に入ってみたいと思い、大学院で近代史や比較文化論を学び始めました。さらに私はもともと化学が好きでした。だから、歴史研究の中でも、化学分野に関わる資料に目が向くようになったのかもしれません。なお、平間先生たちはそれから約10年後に世界に先駆けてシガトキシンの全合成を達成し、その偉業は「ジャパニーズ・サムライ」と世界的に賞賛されています。

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