Kanako Kitahara's Blog
郡場ふみ(1856-1925)さんという女性がいました。在野の植物学者です。
世界的に高名な植物学者であった弘前大学第二代学長郡場寛先生のお母様です。
下に掲載したのは、1999年に青森県から発行された『青森県女性史ーあゆみとくらし』のグラビアページに載った写真です。ここには、八甲田の高山植物の研究・管理保護に力を注いだこと、息子の寛氏が母の影響を受けて植物学を専攻し、のちに植物学者になったと書いてあります。これはよく言われることです。
しかし、息子の生き方が母に影響を与えた部分もあったようです。郡場先生は大学で学んでいる時、八甲田の植物採集を母に頼んだそうです。息子に請われるままに標本を作成していた郡場ふみさんの作る標本はだんだん有名になって行き、いろいろな大学から頼まれて標本を送るようになったのだそうです。
最後には、植物学者として有名な昭和天皇(皇太子時代)の前で御前講義を務めるまでになりました。
郡場先生自身は、ご自身の感化で母が植物採集をはじめたと後に語っています。ふみさんは酸ヶ湯温泉の経営者としても知られていますが、息子の影響を受けて植物学を学び、深めて行った人生だったようです。人生、志したときがスタートの時、とあらためて教えてくれるような、素敵な生き方だと思います。