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明治女性と演説(「成田らく」さんーその4)

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成田らくさんが残した資料の中に一枚の紙になにか書かれたものがありました。

成田らくさん直筆資料

成田らくさん直筆文(成田家文書)

これは女性の弁士による演説会を聞きに行った時の様子や感想を書いたものでした。

明治20年代になると、青森県内でも女性による演説会や講演会が開かれるようになりました。1888年12月13日、弘前の「柾木座」において婦人大演説会が開かれました。当時の女性としては高い水準の教育を受け、弘前女学校で教師をしていた「成田らく」さんは、これを聴きに行き、その様子を鉛筆で書き残したのでした。

文章の中にでてくる水橋という女性は、当時たびたび青森県内で演説をしていた「三橋しけ」のことのようです。「我々も一個の人間なれば男子同等の権理を得たい」と述べる女性弁士に人々はさまざまな感想を持った様子が、らくさんの書き残した資料からわかります。きわめて興味深い貴重な資料です。

資料自体は、『青森県史資料編近現代1』(青森県、2002)のp751に翻刻掲載されています。また、広島大学大学院文学研究科教授である河西英通先生が論文を書かれています。(「民衆空間としての劇場ー大同団結運動の後景ー」『青森県史研究』第5号、2000年)

 

なお、この女性弁士の「三橋しけ」は、その後も時々青森県を訪れて演説会を開きました。明治26年2月10,11日には青森町(当時)の大町亀屋亭で「非政談演説会」が開かれています(『東奥日報』明治26年2月10日付)

 

 

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