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横浜外国人墓地に眠るヘレン・ルイーズ・イングのこと

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今日は、津軽の歴史に影響を与えた小さな赤ちゃん、ヘレン・ルイーズ・イングのことを書いてみます。

ジョン・イングとジョニー、ルーシー

ジョン・イングとジョニー、ルーシー

明治7年末に東奥義塾教師として弘前に来たメソジスト派宣教師ジョン・イングは、もともと1870年から中国でキリスト教の布教活動をしていました。ただ、言葉の壁や中国人たちとの折り合いなど、苦労も多く、4年ほどの宣教の後に帰国を決意します。

1874年の11月、彼は帰国途中に日本の横浜に立ち寄りました。そこで小さな愛娘、ヘレン・ルイーズを喪うという悲しい出来事が起こります。

11月13日、病気と闘っていたヘレン・ルイーズは、父ジョンが見守る中、天国へと旅立ちました。イングが母国の父スタンフォードに宛てて書いた手紙の中には、そのときの様子が克明に描かれ、異国の地で子どもを失った両親の深い悲しみが伝わります。

病いに苦しんでいたヘレンは、息を引き取るとき文字通り土気色の表情でした。それが、不思議なことに自然な顔色に戻り、そして微笑んだそうです。

How strange. She smiled and all was over.  (ジョンの自筆書簡より)

ヘレンは、亡くなる数日前に、同じメソジスト派宣教師だったロバート・マックレーから洗礼を受けました。そして、山の手の墓地に埋葬されています。

ヘレンがどこに埋葬されているのか、ですが、イングの手紙には、「墓地のとても美しい場所に」とあるだけで、今ではその場所を捜すのはとても難しくなっています。外国人墓地も、関東大震災などの災害もあり、また経年で墓標が読めなくなってしまっているものも少なくないからです。

外国人墓地入り口

外国人墓地入り口

ヘレンが亡くなってから5年後、ヘレンに洗礼を授けたロバート・マックレーの夫人が日本で亡くなりました。マックレー夫人のお墓は、墓地の上の方の、とても美しく眺めが良い場所にあります。もしかしたら、近くにヘレンが埋葬されているのかもしれません。

ヘレンを異国の地に埋葬する時、日本に来ていた宣教師たちは、宗派を超えた友情を示し、たくさんの人々がイング夫妻の所に駆けつけました。イング夫妻が深い悲しみとともに見た海の風景は、どのように彼らの目に映ったのでしょう。外国人墓地から海を見る時、そんな想いをいだきます。

ヘレンの魂を天に帰して、そして体は日本の地に埋葬したイング夫妻は、その頃に弘前に来てくれる教師を捜していた東奥義塾の人たちと出会います。

「愛する娘が眠る日本で、自分たちがもう少し何かできるのかもしれない」

こうした想いを抱いたイング夫妻は、東奥義塾の申し入れを受けて、弘前に来ました。そしてそれから3年あまり、全力で教育と宣教にあたり、この地に大きな影響を残しました。

津軽地方でのイング夫妻の貢献は数々知られています。その背景には、幼くして天に召されたヘレン・ルイーズ・イングちゃんのことがありました。今では、ヘレンのことを知る人はほとんどいないと思います。あらためてヘレン・ルイーズの幼い魂に祈りを捧げたいと思います。

墓地から海を眺める風景

墓地から海を眺める風景

 

 

 

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