Kanako Kitahara's Blog
青森県内には広大なヒバの林があります。抗菌性の強いヒバは昔から「虫がつかない」とか「腐らない」と云われ、重宝されてきました。全国的にも神社仏閣で使われています。有名な所では、平泉の中尊寺の金色堂などにもヒバがつかわれているそうです。
青森ヒバの抗菌成分はヒノキチオールです。「ヒバ」から取れるのに、なぜ「ヒノキ」チオールか、ということなのですが、これは、ヒノキチオールがもともと台湾ヒノキから発見されたことに由来します。
昭和11年、当時の日本が領有していた台湾の、台北帝国大学において、同大教授野副鉄男先生が台湾ヒノキの精油から物質の単離に成功し、ヒノキチオールと命名しました。しかし、戦争激化のため、一旦研究は中断します。野副先生たちは、燃料不足に陥った海軍当局の要請で、台湾ヒノキから燃料油を集めたりしていました。
やがて終戦となります。台北帝国大学の場合は敗戦後も友好関係が保たれ、速やかに国立台湾大学となりました。大陸から着任した総長や学部長の強い要望のもとで、多くの日本人教授がそのまましばらく台湾に残りました。いわゆる戦後の「接収・留用」です。
野副先生の研究室もヒノキチオールの研究を再開・継続しました。数年後に帰国する際も研究成果をすべて日本に持ち帰ることが許され、この研究は東北大学で続けられることになりました。一方、野副先生たちが基礎を築いた台湾大学の化学科からは、アジアで初のノーベル化学賞を受賞した李遠哲博士を初めとして、多くの化学者が育ちました。
ヒバの抗菌成分であるのに、「ヒノキチオール」という名前になったのには、こうした背景がありました。
写真は、台北帝大時代にヒノキチオールを研究していた野副研究室メンバーです。(出典はTetsuo Nozoe, Seventy Years in Organic Chemistry, American Chemical Society, 1991, p49 )
この中で、左から2番目の青年は、弊社社長の父である北原喜男です。父は野副先生と共に帰国し、東北大学で研究を続け、世界で初めてヒノキチオールの全合成に成功しています。
弊社社長は、この写真が撮影された当時、すなわち父が台北帝大野副研の助手として、ヒノキチオールの研究に打ち込んでいた時期に生まれました。そのため、野副先生を初めとした研究室のメンバーから、「キタハラヒノキチ」と命名したらどうかと何度もアドバイスされたそうです。
やがて時がすぎ、同じく化学の道を志した弊社社長は、弘前大学に就職することになりました。そして青森において、ヒノキチオールを使った製品もたくさん開発され、青森県工業試験場でもヒノキチオールの研究が進められているのを見た時、青森との強いご縁を感じるようになりました。
青森ヒバはヒノキチオールの含有量が多く、優れた抗菌性をもっています。腐りにくいので、まな板のような水回り品にも活用されています。香りも良いので、写真のような、ヒノキチオール含有のお線香などもおすすめです。
なお、青森ヒバとヒノキチオールについては、2014年3月末に刊行された『青森県史資料編近現代6』では、高度経済成長期の文化としてとりあげています。よろしかったら、そちらもご覧下さい。