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Kanako Kitahara's Blog

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明治の弘前と写真

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2017年5月18日付東奥日報紙に弘前城と岩木山を一緒に収めた珍しい写真が見つかったという記事が掲載されました。現在は弘前市代官町にある矢川写真館が明治時代に撮影したもので、弘前城天守閣と岩木山が同じ一枚に写ってます。リンク先はこちら→(弘前城と岩木山 明治期の写真見つかる

 

弘前城内二の丸から天守閣を見た写真(2009年撮影)

(弘前城内二の丸から見る天守閣 2009年撮影)

 

撮影された場所は弘前城内二の丸部分で、ここから天守閣は見えますが、その奥に位置する岩木山は普通の目線では見えない状態です。ですから、二の丸に大きな櫓を組んでそこから写真を撮影したということです。

 

 

 

興味深いのは、撮影した矢川写真館さんにこの写真は残ってなく、櫓を組んだというご先祖さまのエピソードだけが伝わっていたということでした。そして東奥日報によると写真は「市内の男性が今年になって実家の整理中に見つけた」ということのようです。

写真自体もとても興味深いもので、この記事は関心を持って読みました。さらに思ったのは、「実家の整理中」にこの写真が出てきたことが報じられたことの意義です。古い写真の中から貴重なものが出てくる、ということは、比較的よくあることなので、もし古い写真があったら、廃棄する前に博物館なり図書館に連絡をしてくれる方がふえるといいなと思ったからです。

以前、旧家のつづら折りを調査する機会がありました。たくさん(たしか200枚ほど)あった写真はとても古いもので、最初はなんの写真か見当もつかなかったのですが、一緒に入っていたものから判断すると、どうやら函館の女学校の生徒のようでした。関連すると思われる資料をかき集めて、明治20年代に函館遺愛女学校で学んだ人たちの名簿や写真資料と突き合わせる中で、その中の何人かのお名前がわかってきました。さらにその写真が何のために撮影されたのか、ということもおぼろげながら見えてきました。

そのつづら折りがもしそのまま廃棄されてたら、当時の女学生たちの様子を伝えようとした写真も廃棄されてしまっただろうと思うと、そのつづら折りを残してくれてありがたいと思ったものです。その中の一枚は1999年に刊行された『青森県女性史ーあゆみとくらしー』に掲載されています。

「青森県女性史ーあゆみとくらしー』のグラビアから転載

(「青森県女性史ーあゆみとくらしー』のグラビアから転載)

 

 

矢川写真館の歴史も、近代史的にも女性史的に面白いのであとで書いてみようと思っています。

 

 

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