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東北とハリストス正教

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北鹿ハリストス正教会聖堂

北鹿ハリストス正教会聖堂

弘前には、旧メソジスト派である日本基督教団やカトリック教会など、由緒ある教会がいくつもあります。弘前の近代には、キリスト教がいろんな形で影響を残しました。ただ、それがキリスト教徒の増加につながったかというと、少し違う側面もあります。どちらかというと、キリスト教は弘前の歴史に文化的な意味で刻まれたという方がぴったりかもしれません。

以前の本ブログで紹介した通り、弘前にはプロテスタントのメソジスト派が広がりました。これは、弘前藩学校を継承した東奥義塾に、プロテスタントの宣教師が続いて着任したことが大きな理由となります。プロテスタントメソジスト派は、アメリカの宣教本部から次々に宣教師を送り込みました。もちろん、外国人宣教師を核として、その周辺の人々からキリスト教が受け入れられて行ったわけです。

ところで、明治期の日本に広がったキリスト教の中には、ハリストス正教も入っています。これは特に東北地方でも広がりました。ハリストス正教はロシアの宣教師ニコライが有名ですが、東北のハリストス正教は、ニコライから教えを受けた日本人伝教者たちによって伝わって行きます。その広がり方は、今からではイメージしにくいくらい、急速で、しかも幅広い地域にわたっています。

この辺のことについては、つい最近、帝京大学専任講師の山下須美礼さんによって明らかにされています。

山下須美礼『東方正教の地域的展開と移行期の人間像ー北東北における時代変容意識』(清文堂、2014)

山下さんの著書

山下さんの著書

 

青森県では、八戸を中心にハリストス正教が広がりました。その教えを受け入れた中から、源晟(パウェルみなもとあきら)や那須川光宝など、後の青森県自由民権運動の中で活躍する人物たちが出ています。青森県の自由民権運動は、弘前の民権派も一大勢力となりましたが、これも本多庸一など、キリスト教の影響を受けた人々が中心となっていました。キリスト教は、宗教というより思想的な意味で、東北の近代に少なからぬ影響力を持っていたのです。

ところで、山下さんの研究によると、ハリストス正教は明治11年の段階で旧仙台藩領で1600名以上となり、翌年には旧仙台藩領に旧盛岡藩領を加えると2000人を超す数となります。同じ時期に、たとえば弘前でアメリカ人宣教師から洗礼を受けた人の数は29名、洗礼希望者を合わせても45名ほどです。数からいったら、圧倒的にハリストス正教の方が多かったのです。しかし、それでもハリストス正教は弘前で教えを広げることが出来ませんでした。洗礼を受けた数は少なくても、弘前ではメソジストの勢力が強く、ハリストス正教関係者は弘前に入り込めなかったようです。

本ブログの上に載せた写真は、弘前から約50キロほど南にある大館市郊外の北鹿ハリストス正教会曲田生神女福音聖堂のものです(山下須美礼さん撮影)。大館にはハリストスが広がりました。北日本に広がったハリストスは、津軽を避けるように、取り巻くように、広がったといえるかもしれません。

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