Kanako Kitahara's Blog
2000年3月28日のことでした。成田孝(こう)さんのお宅で成田らくさんの資料をたくさん見せていただき、成田家や、孝さんのご実家である蒲田家に伝わっていたいろいろな古いもののお話を聞かせていただきました。
その中で、藍染の話が出て来ました。昔、ご先祖さんが使用された藍染の裃がたくさん残されていたのだそうです。博物館に寄贈しようとしましたが、受け入れ先がなかったため、中庭で燃やすことになったそうです。燃え上がった炎の色の話が印象的でした。
孝さんがおっしゃるには、
「それがね、あなた、まぁなんというのか、見事なピンクだったのよ」と。
それを聞いた時の心境は、「もったいない!」という気持ちと、「ピンク!?」と同時に出て来たように思います。
「古い藍染でしたからね、そういう色になったのかしらね」
というようなお話を印象深く伺って、そのほかにもたくさん貴重なお話を伺い、たくさんの資料を撮影させていただき、成田家をおいとましました。頭の中は、「藍染?、炎色反応?、ピンク?、なぜ?」みたいなワードがぐるぐると。
そして、弘前に帰宅してみたら、偶然にも連れ合いが、なぜか藍染に夢中になっていました。ニュージーランド出張中に、当時弘前大学農学部事務長を務められていた舩澤陸郎さんから藍染の話を聞いて、その可能性で頭がいっぱいになっていたのでした。偶然ですが、文理双方から藍に関心を持った時期はほぼ同時だったのが、今思うと不思議な気がします。
こうして当時の弘前大学教育学部自然科学教室の北原研で藍抗菌性の研究が始まりました。私は私で津軽の藍に関わる歴史研究をスタートしました。
文理双方からの学術研究としては、科研費を得て以下の研究を行なっています。
文理融合型地域理解学習教材の開発-津軽の藍を通じて地域を知る-
藍抗菌性研究についてのこれまでの成果はこのホームページで紹介している通りです。
歴史研究については、まだホームページに書いていない部分も多いので、おいおい追加していこうと思います。今日の話は、私が藍の歴史研究に取り組む一つのきっかけとなったのが成田家文書調査だったという思い出でした。