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Kanako Kitahara's Blog

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ジョン・イングの農場と地図

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アメリカ、イリノイ州南部にあるフランクリン郡は、津軽の宣教師、ジョン・イングが晩年を過ごしたところです。イングは今、ベントンの墓地に眠っています。そして彼は近くのトンプソンビルにある農場を経営していました。

ベントンの観光案内所には、1918年当時のフランクリン郡近辺の地図があります。

ベントンの観光案内所

ベントンの観光案内所

 

1918年のフランクリン郡地図

1918年のフランクリン郡地図

 

この地図の右下の方には、ジョン・イングの農場の場所が書かれています。

イングの農場を示す地図

イングの農場を示す地図

 

これは、イングのお墓参り目的でベントンを訪問した時、たまたま見つけました。具体的にイングの農場の場所がはっきりわかったため、見つけたときは、非常にうれしかったのです。もちろん、地図を参考にして、農場を探して行ってみました。それが、下の写真です。この時の調査は、ベントン出身のカレン・ミュリン(Karen Mullins)さんが手伝ってくれました。だからすごくスムースにことが運んだことも、ラッキーでした。

イングはかなり広い農場を経営していました。今、この土地はすでに人手に渡ったようで、イングの子孫たちはここに住んでいません。でも広々とした風景は、イングが眺めていた当時とあまりかわっていないようです。

ジョン・イングが晩年を過ごした農場

ジョン・イングが晩年を過ごした農場

イングがここに住んでいた当時、近くに住む小学生だったアーネスト・シェパードさんは、後に高校の歴史の先生になりました。そして、イングの業績に関心を持ち、論文をまとめました。彼は東奥義塾に所蔵されている日本語の資料を見ていないので、内容的に若干の限界はありますが、これがアメリカ人によるジョン・イングの伝記としていちばんまとまっています。(Shepard, Ernest E., “A New View of John Ing”, ILLINOIS, March 1979, Vol. XVIII, No2, pp.8-18)

特に、その中には、イングとかわした会話の回想がでてきており、貴重な記録になっています。

イングは弘前にいた頃、藍染に関心を持ち、藍を栽培していました。弘前からアメリカに住む父に宛てた手紙には、藍に関心を持っていたことをはっきり書いています。アメリカに帰ってからも、藍染をやっていたのかもしれませんね。

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