Kanako Kitahara's Blog
日本の教育システムは、明治五年の「学制発布」を境としてかわりました。近世の藩学校や寺子屋から近代型の学校にかわり、政府は男女を問わずすべての国民が教育を受けられるようにと目指したことはよく知られています。といっても、そう簡単には教育体制は整わなかったので、青森県のケースでも、女子就学率は最初は1%前後のレベルでした。それも、学校が作られたの近くにいた女子生徒しか学校に行くチャンスがなかったりして、なかなかたいへんでした。
ところで、近代教育が始まったとはいえ、問題は「音楽」でした。なにしろそれまで「音楽」という発想がないので、そもそもどうやったら良いのかわからないわけです。「当分之を欠く」ということで、しばらくはやらなくてもよい、ということになってしまいます。
といいつつ、政府も文部省も音楽教育をどのようにするか、という努力をしました。で、今日はそんな中で作られた教科書を取り上げてみました。理由は、「赤い中表紙」がとてもきれいだからです。
まずはその教科書(小学唱歌集初編)の表紙です。
これは復刻版ですが、きれいなクリーム色系です。小学校の教科書ながら、なんとも風格ある表紙です。でも表紙を一枚めくると、、、目も覚めるような赤です。ちょっと驚きます。
この教科書に載っている曲は、最初は音程練習みたいな感じです。でも、23番になると、こんな曲になっています。
少し読みにくいのですが、歌詞が読み取れるでしょうか? 読めればおわかりと思います。そうです、これは「君が代」です。これは、もともとウエッブという人の作曲で、後に賛美歌としても歌われるようになった曲です。なので、歌い方次第では、賛美歌のように聴こえます。歌詞はこんな感じ。
今の日本人にとっては読みにくいので、下に書き出しておきます。今の「君が代」とはちょっと違いますが、歌詞もメロディもなかなかきれいです。
1、君が代は 千代に八千代に さざれ石の
巌となりて 苔のむすまで
動きなく 常盤堅盤に 限りもあらじ
2、君が代は 千尋の底の さざれ石の
鵜のいる磯と あらわるるまで
限りなき 御代の栄を 祝ぎ奉る
こうして教科書もできて、「当分之を欠く」ことになっていた音楽も、明治10年代後半には音楽の先生を育てるシステムも作られて、各地で先生を育てる師範学校において、音楽を教えるようになります。青森県にも師範学校で教えた女性の先生がいました。微笑ましいエピソードもあったりしますが、これについては、またそのうちこのブログで取り上げたいと思います。
ということで、本日は、ちょっと趣を変えて音楽のお話でした。